写真1 マジョリカハウス
オットー・ヴァーグナー設計、1898-99年
ファサード全面にバラが、マジョリカタイルで生き生きと描き出されている

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 第150回建築家フォーラム(2016年5月17日)は、5年前までフォーラム幹事を務めていた川向正人氏を招いた。

 川向氏は建築史と建築評論を専門とする一方で、2005年から東京理科大学・小布施町まちづくり研究所の所長を務め、大学と町との協働によるまちづくりを担ってきた。折しもフォーラム直前には2016年日本建築学会賞(業績)と同教育賞(教育貢献)をダブル受賞し、「65歳で大輪が咲いた」(企画・進行の今川憲英氏)というなかでの講演となった。川向氏は、主著『様式』(1860-63)などによって現代建築にまで影響を与えている19世紀のゴットフリート・ゼムパーの思想から語り始めて、「被覆」と呼び建築全体の姿を表す「様式」を創生しようとしたゼムパーその人の試みから、川向氏自身の小布施まちづくりでの試みまでを振り返った。

 画像でまず紹介したのは、1977-79年に留学したウィーンで川向氏が撮った、19世紀ウィーン建築のファサードに現われた「様式」の変遷である。1830年頃から古代ギリシャ・ローマ、ルネサンス、ゴシック、ビザンチンなどの歴史様式が一般の都市建築にも現われ始め、1850年を過ぎる頃には、より正確に、厳格に歴史様式を再生する、いわゆる「厳格な」歴史主義へと移っていく。これは折衷ではなく真正の歴史様式で建築のファサード、つまり姿全体をつくることを意味しており、1870年代がピークだった。丁度この頃からウィーンで設計活動を始めて、厳格な歴史主義の精神を受け継いで建築の姿全体を真正の、だが「近代的な」様式でつくり上げるために努力を重ねるのがオットー・ヴァーグナーで、その成果が、バラの模様がファサード全面を覆う「マジョリカハウス」(1898-99、写真1)である。

 新様式は空間境界(被覆)に現象する。空間自体も重要だがその境界の素材・形態・色彩などが建築あるいは空間の印象とか人間の身体への働きかけを決定することに気付いた、もう一人のウィーン世紀末建築家がアドルフ・ロースで、ゼムパーの様式原理にあった「身体性」をより強く意識したのはロースだったと川向氏は言う。紳士服飾店「クニーシェ」(1910-13、写真2) などのロース建築の内外が画像で紹介されていった。

 「ゼムパーの様式論(あるいは被覆論)の特徴は、ただ歴史様式を表層的に模倣する風潮を厳しく批判して、<理念(モチーフ)>に基づき、ふさわしい<素材や技術(テクトニク)>を用いて、知的で生き生きとした様式を<現象>させるべきことを繰り返し論じていることで、それが私自身の建築・まちづくりの一貫したテーマになった」と川向氏は話す。そして、ゼムパーのこうした三段階論的な思考は、菊竹清訓氏の「か・かた・かたち」に通じ、こうした思考回路を経て建築全体の姿(被覆・様式現象)に至るスイス現代建築や伊東豊雄氏(写真3)、青木淳氏、SANAA、隈研吾氏などの日本現代建築にも生きていると、川向氏は指摘する。

 一方、小布施のまちづくりもまた景観、建築やまちの姿を問うもので、住民を巻き込んで、茅葺きや地瓦の屋根、土壁、たたきなどを伝統的な素材・技術から体験するワークショップを毎年開催してきた。「かつての人々は身近な素材と技術を用いて生き生きとした建築の姿と周辺環境との一体感を生み出した。そこにはテクトニクと呼ぶべき特有の技術があり、そのテクトニクは地域住民に共有されていた。ワークショップで体験してもらうのは、ゼムパーも注目していた、このテクトニクだとも言えるのです」と、川向氏は講演を結んだ。

 そう総括する川向氏の活動は、まさに「都市(まち)と建築を結び付ける取り組み」(今川氏)の積み重ねだった。この講演の内容は近刊の本に詳しく書かれるそうだ
                                     (守山 久子)



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