立原道造によるスケッチ「立原道造全集第4巻」(筑摩書房2009年刊)

写真はこちら

 2015年6月16日の第141回建築家フォーラムは、国広ジョージ氏の企画で講師に鈴木了二氏を迎えた。建築のみならず、映画制作や文筆活動など領域をまたいで活躍する鈴木氏は、本講演で、詩人であり建築家でもあった立原道造を取り上げた。

 鈴木氏は著書「寝そべる建築」でも立原を論じているが、本講演では、映画監督ウェス・アンダーソンとその近作「グランド・ブダペスト・ホテル」を立原と重ね合わせながら、その現代的意味を説いた。

 講演で唯一触れた自作は、金沢21世紀美術館で開催された「ジャパン・アーキテクツ 1945-2010」展の第1セクション。鈴木氏はここで、建物の破片を集めた一木努コレクションを用いてインスタレーションを制作している。「1945-2010」と題した展覧会において、唯一「戦前・戦争」を表現した展示だ。その破壊と廃墟を立原道造は予見していた、と鈴木氏は語る。

 立原道造は1934年に東京帝国大学工学部建築学科に入学、卒業後建築事務所に勤めたが、戦争が始まる前、1939年に24歳で夭折している。一方、「グランド・ブダペスト・ホテル」の主な舞台は1932年だ。鈴木氏は1930年代を「近代建築の分かれ道として、最も重要な10年間」と位置付ける。

 立原は建築の実作こそ残さなかったが、建築に関する3本の論文と、多数の図面やスケッチを残している。鈴木氏はその世界観が、ウェス・アンダーソンの映像に通じると見る。どちらも細部への愛に溢れ、描写は建築ばかりでなく、その内に置かれた事物のひとつひとつに及ぶ。そこに、東大で立原の一期下だった丹下健三が戦後歩んだのとは正反対の道筋を、垣間見ることができるのではないか。

 講演で示された立原の設計図「図書館」がおもしろい。全体はスウェーデン人建築家エストベリの「ストックホルム庁舎」に「本歌取り」(鈴木氏)しながらも、各部は似ても似つかない。外観パースではシンボリックに見える塔も、平面図では外壁がわずかに張り出しているだけ。立面図にはクラシックな縦長窓と近代的な横長窓が混在し、面によって様式の違う建物のように見える。

 さらに、鈴木氏は「図書館」の特徴的なアーケードに注目する。「30年代にピロティかアーケードかの分岐点が確かにあった。近代建築はピロティに向かったわけだが、今はどうか。アーケードが復権しつつあるのではないか」

 日本で継承されなかった立原の建築の系譜は、アルヴァロ・シザをはじめとするポルトガルの建築家たちや、ピエール・シャロー、ルドルフ・シンドラーにつながっている、と鈴木氏。戦後70年(鈴木氏の年齢と同じだ)を経て、日本の建築が今置かれる状況を見つめ直すために、立原のスケッチや文章が非常に役に立つ、と結んだ。碩学による縦横無尽の連想に、息つく間もない1時間強だった。

                                      (萩原 詩子)



活動一覧のページへ戻る   HOME