バンコク郊外のラカバン農業学校 水上の校舎

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 2015年5月19日に開催された第140回建築家フォーラムが取り上げたのは、50年近く前のプロジェクト。阿部勤氏と室伏次郎氏が、坂倉準三建築研究所勤務時代に派遣されて取り組んだ、タイ国文部省職能教育学校施設改善計画について語り合った。

 同プロジェクトは、タイ国文部省から声をかけられた坂倉準三建築研究所が、設計者選定を経て手掛けることになった。1966年から70年までという短期間にタイ国全土に亘る25の農業学校と工業学校を建設する。戸尾任宏氏をチーフに、事務所スタッフ7人がチームを組んで乗り込んだ。69年に坂倉氏が逝去したため、坂倉氏にとって「最後のマイルストーン」といえるプロジェクトになった。

 講演は、豊富な写真と図面を紹介しながら、阿部氏と室伏氏が掛け合いで話を進めた。 当時はタイに関する予備知識がなかったので、梅棹忠夫氏の著作「文明の生態史観」や「東南アジア紀行」を読んで参考にしたこと。タイ入国後はまず各地を回って、地域の人々の生活と建築の実態を調査したこと。調査を通じて、庇の下に日陰をつくり、風通しを確保しながら自然と同化して過ごす生活様式の素晴らしさを体感したこと…。

 短期間に多数の建築を設計して完成させる条件だったので、もともとは「システム化した工業製品としてつくり上げていく鉄骨造のイメージを持っていた」(阿部氏)という。しかし、現地調査で伝統的な建築様式の素晴らしさを実感したことで、「地元の素朴な材料を使い、地元の人が地元で可能な技術で建てる方法へと方針転換した」(室伏氏)。

 まず2週間で調査を行い、3カ月で大枠のプランを練った。その後、個々の敷地におけるマスタープラン、基本設計、実施設計の作業を進めていく。時間がないため、各学校の計画では、敷地を確認したら短時間に教室や集会室、カフェテリアなどの配置を決定しなければならない。設計を標準化する際には、地元の材料と技術を活用した。木摺で目隠し日陰をつくり、大断面の鉄骨を使わず地元で入手できるH形鋼とパイプで立体トラスやタイビームを作り大平面の屋根を覆うといった手法を取り入れた。

 1人の建築家にこれだけの国家事業を委ねたタイ国家の姿勢に、建築家という職能や坂倉準三という建築家に対する敬意を実感した、と阿部氏と室伏氏は口をそろえる。現地調査ではジャングルに分け入り、何ものか分からぬ料理も勇気を振り絞って食べた。設計作業を通して、「モノゴトを原点から考えると同時に、重要なことを瞬時に判断する度胸の大切さを学んだ」と室伏氏は話す。坂倉事務所では現地で通訳を使ってはいけないという方針があった。これも、関係者の信頼を得るためにはどうすべきかという坂倉氏の教えだった。

 数年前、阿部氏は久しぶりに現地を訪れて当時の学校を探し出した。「半世紀近く経ってなお生き生きと使われている様子を見て、当時の設計方針は正しかったのだなと思った」という。 企画・進行を務めた幹事の今川憲英氏は、「手探りの状態のなか、短期間でこれだけの規模のプロジェクトを若いスタッフ7人でやり遂げた」という事実の重みを指摘する。建築という行為が社会にもたらす意義を、改めて感じさせる話だった。
                                   (守山 久子)



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