写真:(株)相田土居設計
「遊」

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 2014年9月16日の第133回建築家フォーラムには、建築家で芝浦工業大学名誉教授の相田武文氏が登壇した。相田氏はいわゆる“野武士”世代の一人。講演では、1960年代後半から80年代前半を取り上げる、と前置きした。なぜなら、この時代は日本の建築史において最もアバンギャルドで、思想が開かれた時代だから、という。渦中で、相田氏は何を考えたのか。

 冒頭、会場のスクリーンには、1000個の積み木で描いた『遊』の字が映し出される。相田氏は、1963年に邦訳されたホイジンガの著書『ホモ・ルーデンス(=遊ぶ人)』に大きな影響を受けたという。「遊びは文化よりも古い」とし、遊びこそが人間を規定する、という思想だ。相田氏の作品には、その“遊び”が込められている。

 1973年の『サイコロの主題による家』は、6本の柱に支えられた直方体の家で、サイコロの目と同じように開口部を配置している。“先ず形態ありき”で建築をつくっても、あとからプランを合致させることは可能、という機能主義へのアンチテーゼだ。また、1980年の『モンドリアンの主題による家』では、モンドリアンの抽象画の描線に、住宅のプランをあてはめてみせた。

 さらに、1972年に雑誌『都市住宅』が組んだ特集『ARCHITEXT EXTRA』では、日光東照宮の鳥居や姫路城、東京タワーなどの形態をマンションに置き換えて図面化。鳥居を『パレス・グッド・バード(=鳥良い)』、姫路城を『シャトーひめじ』と名付け、日付にもそれぞれが実際に建造された年を入れるなど、遊び心いっぱいのパロディになっている。「形態の一部を切り取ってみると、プロポーションの良し悪しがよく分かる。物まねも悪くない」と相田氏。

 1979年から1984年にかけての『積み木の家』シリーズは、その名の通り、積み木を組み立てたような形態の住宅作品だ。「幼児教育の創始者、フリードリヒ・フレーベルが開発した恩物(=積み木)は、フランク・ロイド・ライトやバウハウスにも影響を与えた遊びと教育の道具であり、建築と親和性が高い」と相田氏は言う。自らもオリジナルの積み木『AIDA BLOCK』を考案し、大学の授業にも用いた。

 現実の建築では、積み木らしさを実現するために技術的な苦労を重ねたそうだ。「形態について一生懸命に考えていると、それを成立させるために、かえって機能の失敗に気を付けるようになる」と相田氏。1982年に日本建築家協会新人賞を受けた『積み木の家I』は、25年間改装することもなく住み続けられ、2007年に日本建築家協会25年賞に輝いた。

 他方で、「家相にこだわる建て主は、プランに凹凸ができて積み木らしくなるから大歓迎」、「積み木の崩れやすさを象徴する球体を置いたとき、建て主に何かと問われて『魔除け』と答えた」などなど、会場の笑いを誘うエピソードの数々が、巧みな話術で語られる。“遊び”の本領発揮だった。

 ホイジンガは、“遊び”の対となる概念として“まじめ”を挙げたという。『積み木の家』シリーズと同時期の1983年に、相田氏は硫黄島の『鎮魂の丘』を手掛けている。このときは、現地に出向いで過酷な環境の塹壕を歩き、膨大な資料を読み解き、激戦から生還した人の話に耳を傾けて、戦争の悲惨さに真っ向から向き合ったそうだ。皇居に向かう軸戦を持つ基壇と参列広場を設け、水を渇望した人々のために水路をつくり、平和祈念のハイビスカスを植えた。

 それから約30年。相田氏は今も“積み木”を考え続けている。冒頭に示された積み木文字『遊』を、『続』に転じて講義を締め括った。

                                    (萩原詩子)



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