諫早こどもの城(金箱温春)

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耐震強度偽装事件を契機とした建築基準法や建築士法の改正により、構造設計者界には閉塞感が漂う。「仕事がやりにくくなった」という声も良く聞こえた。そんな状況下で構造設計者はどうあるべきか。第79回建築家フォーラム「建築基準法改正後の構造設計者の仕事〜こうすれば不可能が可能な建築に!!」からは、このテーマに金箱温春(金箱構造設計事務所・東京工業大学特任教授)と今川憲英(外科医的建築家・東京電機大学教授)の両氏が挑んだ。「チャレンジ精神をもっともて!」。構造設計者に勇気を与える両氏の講演だった。

「建築基準法改正や構造設計に対する考え方や姿勢は、今川氏と私では違うかもしれない」。金箱氏はまずこう断りながら、建築基準法改正の問題点に踏み込んだ。 まず設計制度の大前提が設計者性悪説に立っていること、設計者の思想や判断に関係なく、一律の審査で安全を確保しようとしている点などを問題点として挙げた。

たとえば審査に際しては明確に運用できる技術基準(規定)をつくろうとした
が、「工学的判断である技術のすべてを法律で規定することは不可能」と指摘する。なぜならば、「法律でイメージする建物と実際の建物は違う。どんなに細かく規定していても、設計のすべてを網羅することはできない」からだ。あるいは建築確認の厳格化をしたのはいいが、「法律で規定していないものは判断できない。だから設計してはダメというのは、全くのナンセンスだ」と切り捨てた。

法津で説明できるものしか設計してはいけない。そんな風潮が構造設計界に蔓延し、空気を重くしているのは事実だろう。法律が変わったことで、創造的な構造設計の仕事ができなくなってきた。そんな雰囲気も建築界にはある。

「しかし、だからといってそこで立ち止まっていてはいけない。構造設計者の価値観と判断が必要だ」。金箱氏はこう強調しながら、「手間はかかるようになったが、法律が変わっても創造的な仕事はできる」と続けた。金箱氏自身は、改正前と改正後の設計スタンスは「まったく変わらない」。要は建物や構造のありようをうまく考えることが大切で、建物の機能や造形を満たし、安全な建物を経済的につくることに尽きるという。

フォーラムでは、改正前後の作品となる「諫早こどもの城」「駿府教会」「新広島球場」などを紹介した。作品の構造設計を語る金箱氏の言葉は1つひとつに説得力があり、法律が変わっても創造的な構造設計はできることを実感させるのに十分なものだった。改正前と改正後で構造デザインに差があるとは、少なくとも素人目には思えない。

建築基準法や構造設計に対する考え方は異なるという両氏だが、改正を前向きに捉えているという点では共通する点は少なくない。

今川氏も「改正で確かに手間はかかるようになったが、創造的な仕事ができないわけではない」と強調した。ただしこれからは「構造設計者には説明し説得する能力が求められる」と補足する。この点が改正により大きく変わった点だというのだ。

「構造設計の楽しみ方」という独特の表現をしながら、今川氏は構造設計のあり方として3点を挙げた。第1にクライアントの信頼を得ること、第2に構造設計者の個性を最大限に生かすこと、第3に現状の基準法を徹底的に理解し活用することである。そして「チャレンジする精神をもってほしい」と訴えた。

チャレンジ精神を今川氏が具体的な事例として紹介したのが「サッポロビール北九州工場」や「新潟県立新発田高校」などの作品。「自分の個性を意識し、クライアントの要求をまとめる。そして材料と構造形式を一致させることで、厳しい条件でもユニークな仕事ができる」と語った。

では今後構造設計者が、より良い設計環境をめざしていくためには何が必要
か。

「法制度には負けないという闘う姿勢が必要だ」。金箱氏はこう訴えながら、
「無茶はできないが、創造的・個性的な設計は改正後もできる」と続けた。そのためには設計の考え方を確立して設計することが重要であるとともに、意匠設計者の理解と協力、さらに適切な時間と費用が必要になるという。

講演に先立ち開かれた展示会では、闘い挑戦しながら、不可能を可能にするような両氏の作品が展示された。

建築基準法の改正に加えて、建築士法も改正され、新たに構造設計一級建築士の資格が創設された。一級建築士の資格を取得後、5年間の構造設計実務を経てようやく構造設計一級建築士の受験資格ができる。これに合格しないと、主体的に構造設計をしていくことはできなくなった。構造設計の重要性と構造設計者の存在を社会的に認めてもらうには絶好の機会であるが、構造設計を取り巻く環境は厳しさが伴う。

閉塞感の背景には、こうした事情もある。 「仕事がやりにくくなったと嘆くよりも、チャレンジする精神を忘れるな!」。両氏の講演は、今日の閉塞感を打ち破ってほしいという構造設計者への強いメッセージが込められていた。   (浜本 功)


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